本と酒があれば、人生何とかやっていける

読んだ本の感想や気付きを中心に、雑感をつらつらと綴っていきます

〈本〉『黒い賠償 賠償総額9兆円の渦中で逮捕された男』

【真に受けても良いと判断した】

 

二〇一一年四月二八日に福島原子力補償相談室が開設され、岩崎は賠償係となった。福島原子力補償相談室とは、原発事故の被害に関する書類の受付や相談の窓口である。

 

黒い賠償

黒い賠償

 

 

世間の目とクソ野郎

本書は、賠償係として被害者の窓口となり補償相談の対応を経て、賠償詐欺の捜査官に転身して活躍した後に、詐欺容疑の被疑者との関係を疑われて逮捕、そして東京電力に解雇された男を追い掛けたルポルタージュだ。

 

この本を読んで考えさせられたことが二つある。一つは世間の目を持っておくことの大切さ(後述するが世間の目が正しいということではない)、もう一つはクソ野郎は誰なのかということだ。

 

東電には恩返しがしたいけど、事務屋なので原発には携わっていない。なので、加害者としての申し訳なさは皆無に等しかった。だから『被災地のため』ではなく、会社のために志願した。普段は偉そうにしている巨大組織が、本当に慌てふためいているのが分かったから。

 

落とし穴が待っている

岩崎の述懐だが、これに既視感を持った事件がある。岩崎の心情に腹を立てることなく受け入れることができたのは当事者ではないことに加えて、あぁ同じ論理なんだなと思うことができたからだ。既視感を持ったのは、某洋菓子メーカーが賞味期限切れの原料を使用して問題になった事件。彼らの中にあるのも被害者意識だけだった。

 

世界との距離感をはかる世間の目を持ち合わせておかないと、強烈なバッシングを受けて袋叩きにされてしまうことがあるので注意が必要だ。内側の理論だけで生きていると、想定外の落とし穴が待っている。

 

この時期、東電が悪いという風潮が最悪の域にまで達していた。社員たちは加害者という意識など皆無に等しい。むしろ被害者意識の方が強かった。だが、世間は違ったのだ。

 

世間の目が正しいということではない。世間には世間の理論があり、それは決して一定ではないので、世の動きには目を凝らしておかなければならないということだ。深い落とし穴に落ちてしまわないように。

 

クソ野郎か、それとも

この本を読んで思った二つ目は、みんなクソ野郎だということだ。果たして日本人は立派な国民性を持っているのだろうか。ここで描写される多くの人々、東電の人間、賠償のコンサルタント会社(デロイトトーマツ)、某県知事、そしてワラワラと賠償目当てに群がる詐欺のプロたち。みんながみんな、クソ野郎に見える。

 

私は東電はクソだと思う。勤めている友人もおり、彼には申し訳ないけれども、東電はクソ野郎だと思う。これまではそうとだけ思っていた。しかしながら、本書を読むと、クソ野郎は東電だけではなかったことが透けて見える。原発事故に掛かる補償問題に群がるクソ野郎たちに反吐が出る。

 

私も針のむしろの中で働かなければならなくなった経験がある。身から出た錆だったが、しんどかった。マスクで表情を隠さないと仕事ができなかった。そのような渦中にいるからこそ見えてくるものがある。それでも寄り添ってくれる人と、クソ野郎だ。

 

クソ野郎か、それとも寄り添ってくれる人間だったのか。動機はさて置き、岩崎は後者の側にいた人間だったのではないかと思う。

 

本書の雑感

ここからは予断。

本書では原発事故の舞台裏を見せられることになった。テレビのニュースや新聞から得る情報は、自分が目の前にした「事実」でない限り、何かしらのフィルターを通した"その主体"にとっての「真実」を見せられることになる。真実の中からどれだけ事実をすくい取ることができるか。情報が氾濫する世の中ではできることに限りがあるので(全ての裏を一つ一つ取っていく時間はないので)、事実を見極めるのはたやすいことではない。

 

本に関しても同じことが言えるだろう。しかしながら、ニュースや新聞よりは「フィルター」の加減をはかりやすい。出所つまり書き手が特定できるからだ。信頼できると判断する書き手を持っておくことは大切だと思う。その書き手の考えに偏りがちになるリスクはあるものの、氾濫する情報に独自のフィルターを掛ける手段になるからだ。

 

信頼できる書き手とその加減をはかりたい書き手を掛け算して、信頼度合いをはかることもある。信頼できると判断している書き手がその書き手を評価していれば、安心して手に取ると判断する。しかしながら、本書の著者である高木瑞穂は上手いこと判断ができなかった。どこまで信用できるだろうか。

 

あくまで私の判断基準だが、ノンフィクションやルポルタージュであれば、門田隆将や清水潔は信頼できると判断している掛け算ではかるものさしだ。しかしながら、今回は上手く機能しなかった。本を読むのにそこまで考えるのか?と思われるかもしれないが、重いテーマであればあるほど慎重になる。真に受けて良いものだろうかと。

 

こうなったら自分で判断するしかない。私は真に受けても良いと判断した。