本と酒があれば、人生何とかやっていける

読んだ本の感想や気付きを中心に、雑感をつらつらと綴っていきます

〈本〉『かがみの孤城』

【天使な読者と悪魔な読者】

読者は天使なのか悪魔なのか

姪が読み、彼女の父親(私の弟)も読んだということなので手を出してみた。初めての辻村深月だった。素直に楽しめたし、感動した場面もあった。他の作品を読んでみても良いなと思った。そう振り返りながら、ふと感じたのが以下のことだった。

 

読者は天使なのか悪魔なのか。

 

かがみの孤城

かがみの孤城

 

 

合格点だった

大筋はこのような物語だ。鏡の中の城に集められた七人の中学生。タイプが異なり、それぞれが問題を抱えている女子三人と男子四人だが、彼らに共通していることが一つだけあった。七人を招いたのは、狼の仮面を付けたふてぶてしい女の子"オオカミ様"。彼女が説明する鏡の世界のルールは、ざっと以下のようなもの。

 

・城の奥には"願いの部屋"があり、一人だけが願いを叶えられる
・部屋に入るためには"願いの鍵"を探さなければならない
・城が開くのは三月三十日まで。それまでに鍵が見つからなければもう城には入れない
・誰かが鍵を見つけて願いを叶えたら、三月三十日を待たずに城は閉じる
・城が開くのは日本時間の朝九時から夕方五時まで
・五時までに自分の部屋に戻らないと恐ろしいペナルティーがある

 

550ページ超の大作だった。話が大きく動き始める中盤以降からのめり込み始めた。しかしながら、途中が面白くても締めくくりが惨めだと始末が悪い。その点、この物語は「おお、そうきたか」と思わせてくれたので、私にとっては合格点だった。さて、ここで先に挙げたふと感じたこと。

 

読者は天使なのか悪魔なのか。

 

天使みたいなものだ

私はあまり小説を読まない。世間でもてはやされるベストセラーの類は、特に読まない。天邪鬼なので敬遠するのである。自分でもしょうもない性癖だと思っている。そういうわけなので、小説や物語に対してスレていないというメリットがある。

 

メリットとはどういうことか。つまり、展開が読めないのだ。それなので、すぐに話の組み立てが予想できてしまったり、犯人が分かってしまったりということが、ほぼない。ある意味、幸せな読者だ。書き手にとってはちょろいもんだろう。俺なんか天使みたいもんだろうな。こんな思いから始まった。

 

悪魔を弄ぶ書き手たち

では、悪魔とは何か。まぁ、真逆なんだろうなと思った。小説を読み慣れており、書き手の癖を見抜き、すぐに展開や犯人が分かってしまう。このような悪魔はつまらなくなってその書き手から離れていくのだろうか、という疑問を持った。これは否ではないか。

 

そこは書き手もプロだろう。ある一定の型はありながらも、手を替え品を替えで読み手を楽しませるに違いない。このような私でさえ池井戸潤はもういいや(爆)などと思っているが、しっかりと売れているのは池井戸ファンやマニアがいるからなのだろう。

 

なんとなく同じ型、似たような型にはまっている物語ながら、設定の違いなどで固定客を魅了し続けているのだろう。悪魔たちを手のひらで「ほーら、ほーら」と弄んでいるに違いない。それって何なんだろう。

 

それはきっとその書き手たちの「らしさ」なのだろう。強みだけではいつか飽きられる。しかしながら、書き手たちはそれぞれが持っている独特の「らしさ」で、悪魔な読み手たちを手なづけているに違いない。ちょろい天使はそう思うのだった。

 

本書の雑感

姪が読んでいなかったら、まず間違いなくスルーしていたに違いない。食わず嫌いはいかんと反省させられるとともに、内側の世界に籠っていてはなんの解決にもならない。そう思った。そう、"かがみの孤城"に籠りきって出てこないままでは、何も日常が変わらない七人の中学生のように。

 

最後に。この物語で「お、そこを繋げたか」ということと「えっ、そこを繋げるのは無理がないか」という二つの驚きがあった。姪がどう感じたかを聞いてみたい。本でつながる醍醐味をみすみす見逃す手はない。