「普通の人」になってしまったという悩み
【悩むのではなく考えよう】
バーテンダーが黒服に...
スナック形式の読書会で幹事を務めていた。ここのところ読書会に参加できていない反省を込めて、過去形にしてみた。
我らが読書会はスナック形式。発起人であるママ、店(読書会)を切り盛りする頼りになるチーママ、黒服そしてバーテンダー。幹事4名がそのような設定になっている。ちなみに私はバーテンダー。これは単なる酒好きだからであり、酒を作るのが上手いからというわけではない。
諸事があり、黒服はしばらく姿を見せていない。元気にしているだろうかと時たま連絡していたが、めっきりそれもしなくなってしまった。そう、バーテンダーも黒服状態になってしまっているからだ。我らの店(読書会)は、ママとチーママの二人で支えてもらっている。
時折、悩まされている
変態。読書会でこのような呼び方をされていた。変態は、我らが読書会では誉め言葉である。変態的に本を読んでいたから、変態。ピークでは一日1.3冊くらいのペースで本を読んでいたし、週に17冊読んだこともある。もちろん上には上がいるものの、変態的な読書量であることに間違いはない。誉れある「変態」の称号を頂戴していた。にもかかわらず...
いまは古き良き思い出になってしまった。私の中の変態はなりを潜めて、いまや一週間に1冊読む程度の体たらく。私が唯一誇ることができた、他人と比べて負けることのないものが読書量だったにもかかわらず、いまはそれを手離してしまっている。そう、すっかり「普通の人」になってしまったのだ。時折このことに悩まされる。あぁ、これで良いのだろうかと。そんな時に読んだ本がこちら。
刺さる言葉
「本が好き」という自覚はあったのですが、自分が「変態的に本が好き」というほどの自覚はなかったのです。
はあちゅうよ、お前もか...(呼び捨て&お前扱いで大変失礼)本と変態が結びついていることに大きな喜びを感じてしまった。そして強く共感した。はあちゅうよ、お前もか... と(重ねて失礼)。
変に、常識に自分を合わせようとせず、ただ素直に、自分の好きなことを極めて、それが中心の生活を送りさえすれば、それが本当に生活の中心になります。
先に引用した「変態的に本が好き」や、上の引用が心に刺さったわけではない。この言葉に続く以下の指摘が、ぶすっと私の心に突き刺さったのだ。うーむ、悩ましい...
今、好きなことだけやって楽しく生きている人と、好きなことでは食べていけない人の違いは、好きなことをまっすぐ追いかけて、それがお金になるように努力する毎日と、好きなことを避けて、お金を稼ぐためだけに努力する毎日。そのどちらを選んだかだけの違いだと思います。
今回の雑感
ぐさっと刺さった。はあちゅうの言葉がぐさっと刺さった。今の自分は、仕事や「やるべきと思うこと」に追われて、変態的に好きだった読書を手離してしまい、変態から普通の人に変態してしまった。果たしてこれで良いのだろうかと、たまに思い悩む。やるべきと思うことに成果が出ていないこともあるだろう。まぁ、はあちゅう的に発想を変えて、悩むのではなく「考える」ようにしよう。
まず、やるか、やらないかを「考え」て、やると決めたらその方法を「考え」ます。「悩む」ではなく「考える」という単語を使うようにすれば、それだけでも、きっと人生は変わるはず。