本と酒があれば、人生何とかやっていける

読んだ本の感想や気付きを中心に、雑感をつらつらと綴っていきます

ながらスマホが無くなるだけで、街の風景が美しく見える

【その1分で失うものは何かあるだろうか】

私はこれで「ながらスマホ」を止めた

歩きながらの「ながらスマホ」がとても気になる。若者に多く見られるものの、ここのところ老若男女を問わず見受けられるのが気にくわない。先日も、和服に身を包んだマダムが熱心にスマホを見つめながらこちらに向かってくる姿を見てため息が出た。おいおい、ママさんよ、スマホで何かを確認するために立ち止まる時間すら惜しいのか!?

 

などと偉そうに言いながら、以前は「運転中にスマホを見る」ことがあった。今から考えると信じがたい行為だ。この本を読んで恐ろしくなって、止めた。他人のながらスマホが気になり本書を思い出したので、改めてしっかりと認識するために本書を再読することにした。なお、これから再読するので、文中のコメントは三年前に本書を読んだ当時の感想を参考にした。

 

神経ハイジャック――もしも「注意力」が奪われたら

神経ハイジャック――もしも「注意力」が奪われたら

 

 

神経をハイジャックするものの正体

車を運転中に携帯メールをしていた青年が、一瞬にして二人の男性の命を奪う事故を起こしてしまった。ながらスマホの恐ろしさを思い知らせるノンフィクションであるが、それだけに留まらない。本書では、テクノロジーの進化が私たち人類に及ぼしている恐るべき乗っ取りの実態を明らかにしている。それが「神経ハイジャック」だ。

 

人類は想像もつかないようなマルチタスクを実行しているが、テクノロジーの進化はこの原始的な本能を蝕む。人間は社会性の高い動物なので本能的に「つながり」を求める。進化を続けるテクノロジーはこの本能に働きかける悪魔なのだ。進化したテクノロジーは双方向性や承認されることを通して甘美を与える。やつらは圧倒的な力で我々の神経をハイジャックしているのだ。

 

その1分で失うものは何か

事故を起こしてしまった青年はどのような心境になったのだろうか。心からの反省に至るには紆余曲折がある。もしかしたら、そこまでの心境には至っていないのかもしれない。今回の再読では、そこのところを確認してみたいと思う。

 

ながらスマホの話に戻ろう。もしも本書で語られるような事故を起こしてしまうと、自分がすべてを失うばかりではない。被害者と彼ら彼女らに関わる人たちの未来を奪う、そしてそのことによって自らの家族の将来も奪うことになるのだ。そのような重石がずんっと伸しかかる可能性を、ながらスマホという行為は何百倍にもするのだ。

 

私は何かを調べる、時間を確認する(腕時計をしないのでスマホしか時間を確認する術がない)など、何かしらの理由でスマホを見る必要がある時には必ず立ち止まって脇によるようにしている。1分と時間はかからない。その1分で失うものの重さを普段から考える癖をつけてみるといい。それは重さすら感じることができない程度のものが大半なのではないだろうか。

 

今回の雑感

悪い癖、習慣とは恐ろしいものだ。なかなか離れることができない。しかしながら、裏を返せば良い癖や習慣を身につけることでそれを撃退することはできる。

 

『神経ハイジャック』を読んでみて、実際に起こってしまった恐ろしいことを自分ごととして受け止めてみるのも一つだが、この本は500ページ超となかなかのボリューム。それよりも、私は提案したい。スマホを見る時は足を止めて脇に寄ろう。その1分で失うものは何かあるだろうかと考えてみよう。そうすれば、自然と足が止まるのではないかと思う。

 

ながらスマホが無くなるだけで、街の風景が美しく見える。そのような気がするのは私だけだろうか?