本と酒があれば、人生何とかやっていける

読んだ本の感想や気付きを中心に、雑感をつらつらと綴っていきます

「知っている」の先にあるもの

【知ること、意識すること、行動すること】

良書ではあったのだが...

知らないより知っている方が良い。何を当たり前のことを、と思われるだろうか。少し言い方を変えよう。知らないより知っている方が偉いのか。こうするとどうだろうか?

 

これは、こちらの保阪正康と作家たちの対談を読んで感じたことだ。

 

 

保阪正康が、西村京太郎、池内紀逢坂剛浅田次郎、そして半藤一利と(錚々たるメンバーである)、特に戦争にまつわるこの国の歴史を語りあったものだ。対談形式なので読みやすい。それぞれの経験や専門分野に踏み込んだ対談が展開されている良書だった。

 

良書ではあったのだが、このような疑問を感じることになった。知らないより知っている方が良いに決まっているが、知らないより知っている方が偉いのだろうか。保阪正康をはじめとした大先輩らが偉そうにしていたということではないのだが、なぜかそのような疑問を抱くことになった。

 

時には自分を棚に上げてしまえ

では何だったのか。結論から言えば、評論家に見えたのだ。特に保阪正康はずけずけと直球の意見をぶち込んでいる。これ自体は悪いことではないと思うのだが、そこまで言うならあなたがこの国を何とかしてよと思ってしまったのだ。

 

もちろん、この私自身の姿勢にも疑問を感じる。何でもかんでも「答え」や「解決」のようなものを求める姿勢はいかがなものか。しかしながら、ここではそのような自分の姿勢は思いっきり棚に上げてみたい。そもそもそうしないと率直な意見は言いにくい。時には自分を棚に上げてしまえ、なのだ。

 

日本という国の政治には昔も今も、歴史に対する無理解という「文化」があります。(中略)あの戦争から七〇年も過ぎたのにその姿勢が変わらないというのは、まったく恥ずかしい姿としか言いようがありません。

 

いずれにせよ、この国のエリート指導者層がいかに無責任で国民の命を軽んじたか、彼らのやったことは日本の長い歴史のなかで築いてきた我々の文化に対する侮辱だと僕は思います。

 

まるで評論家

いずれも保阪正康の言葉だ。そうなのかと思うと同時に、ではあなたはこの国を変えるために何かしたのかとも思ってしまう。もちろん自らの足で稼いだ情報に基づき、文筆を通してこの国の「あった」姿を示すことはとても大切なことだと思う。しかしながら、大切なのはその先にある未来だ。未来のためにどのような行動を起こすかだ。

 

私は保阪正康が嫌いなわけではないし、この本も良い本だと思った。ただ、どうしても釈然としない感覚を持ったのでそれについて考えてみた。出てきた答えが、これではまるで評論家ではないかという思いだったのだ。


仕事をしていてもそうだ。思いつきで話をぶん投げてくる人がいる。これが上席だったりすると達が悪い。実務で汗をかく部下のことを考えているのかと意見したい。言葉は時に残酷なまでに暴力的になるのだ。上の立場であればあるほど、発言には気をつけなければいけない。そう思う。

 

今回の雑感

「知っている」はもちろん大切だ。知らなけれなならないことは山ほどある。しかしながら、評論家と思われたり、思いつきで発言していると思われては駄目だ。「知っている」だけでは何も生み出せない。

 

「知っている」だけでは駄目なのだ。その先にあるものを考えることが大切なのだ。まず知ること、次に意識すること、そしてそれに留まらず行動すること。ここを意識していこう。本は本当に色々なことを考えさせてくれる。この本を読んでこんなことを考えることになるとは思わなかった。