本と酒があれば、人生何とかやっていける

読んだ本の感想や気付きを中心に、雑感をつらつらと綴っていきます

植物と病原体の戦いを追いながら、読書について考えたこと

【雑食もまた一貫した行動基準だ】

雑食は節操がない!?

私は自分の読書を「雑食」と表現することがある。興味を持った本は手当たり次第に読もうとするのだ。好き嫌いなく何でも食べよう(読もう)とするので、雑食と称している。新聞を読んでいる時に、私の雑食癖が発動することが多い。出版社の広告欄に「お、おもしろそう!」と目がいくのだ。こちらの本はその成果(!?)と言えるもの。

 

植物たちの戦争 病原体との5億年サバイバルレース (ブルーバックス)

植物たちの戦争 病原体との5億年サバイバルレース (ブルーバックス)

 

 

はっきり言って、今すぐ目の前のことに役立つとは思えないが、広い世界の深いことを知ろうとする行為は、長い目で見れば決して無駄になることではない、と思っている。とは言いながらも、時間には限りがある。雑食は節操がないのだろうか、とこの本を読みながらほんの少し思い悩んでしまった。

 

ついウイルスに目が向いてしまった

ちなみに、この『植物たちの戦争』は、植物と病原体との戦いを、最新の研究成果を織り込んで紹介している。日本植物病理学会という団体が編纂しているので、学会に所属していると思われる研究者たちか寄稿している。若者よ来たれ!というにおいも感じられ、実際に学会長があとがきで「未来は君たちの手に!」と手を広げている。

 

時には分子レベルにまで踏み込んだ話にもなり、ところによっては睡魔を誘う箇所があるものの、難しい話にはあまり踏み込まず、総じて興味を持って読める内容になっている。植物に病気を引き起こす病原体は真菌・細菌・ウイルスであるが、これは植物に対してだけではない。最近、体内に潜伏していた「水痘・帯状疱疹ウイルス」にしてやられた私としては、ついウイルスに目が向いてしまった。

 

雑学は増えるだろう

この手の本では、いかに身近な話題を引き合いに出して、読者を自らの土俵に引きずり込むかが大切だ。本書はそこのところを程々にこなしている。病原体の武器として「宿主特異的毒素」というものがある。ある特定の個体に有効な武器(毒素)だ。これは日本人学生の卒業論文で世界に先駆けて発見されたものであり、研究対象は「二十世紀(ナシ)」だった。ナシが大好きな私はこれにかぶりついた。

 

この病原菌は、アルタナリア・アルタナータというもので、新たに育成・栽培化された品種を宿主にしているえげつなやつだ。この説明で「二十世紀」の誕生秘話が挟まれているのだが、これが「へぇ〜」な話で雑学のストックとして頂戴することになった。私の大好物は「ゴミ捨て場で生まれたナシ」と言われており、当初は「新太白」という名前だったのだそうだ。

 

本書の後半では、「植物の病気から生まれた科学的な発見」として様々な事例が紹介されている。興味を引いたのが、病原体が分泌する化学物質であるジベレリンだ。植物成長調整剤の先駆けとなったもので、農業に利用されている。これだけでは「ふ〜ん」で終わってしまうのだが、ここでまた身近な事例を出してくるのがうまい。

 

種なしブドウの誕生秘話だ。種がある果物は食べにくい。種がないと食べやすい。いかにして種なしブドウは生まれたのか。登場するのはデラウェアというブドウ。デラウェアには果粒が密生して裂果を起こしやすいという問題があった。そこでジベレリンを処理して軸を長くすれば、果粒を間引かずとも裂果を防げるのではないかという研究が始まった。その過程の副産物として種なしブドウが生まれたのだそうだ。種なしが功を奏して、デラウェアは巨峰に次いで多く栽培されているブドウ品種となった。これも雑学のストックとして頂戴した。

 

今回の雑感

最初の問題に戻ろう。雑食は節操がないのだろうか。この本を読みながら感じた疑問ではあるのだが、読み終えて思った、「いいじゃん、別に」と。今すぐ役立ちそうなことばかりを取り込んで何が楽しいのか。この本を読んで楽しくなかったのか?いいや、楽しかった。二十世紀やデラウェアの話もおもしろかった。ならば、それでいいではないか。そう思った。

 

節操がないとは「一貫した行動基準を持たない」ということも意味する。私の読書に対する一貫した行動基準が「雑食」なのだ。それでいいではないか、と結論付けた。一方で、今の自分にとっての主食もしっかり摂ろうということも改めて意識した。良い気付きが得られた読書だった。本書の著者たちは、こんな読者がいることなど想定もしていないだろう。