本と酒があれば、人生何とかやっていける

読んだ本の感想や気付きを中心に、雑感をつらつらと綴っていきます

〈本〉『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』

【差別と捉えるか、区別と考えるか】

開拓者たちの物語

ヒラリー・クリントンドナルド・トランプに敗北した時、しきりと繰り返された言葉があった。ガラスの天井だ。

 

日本にはガラスの、いや鉄か鉛でできていた天井があった。出ること、伸びること、知ることを封じられた女性たちがいた。その状況に我慢せず、各界の天井を打ち破り、道をつくってきた「第一号」がいる。

 

それぞれの世界で女性第一号となり、道を拓いてきた開拓者たちの物語だ。

 

日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち

日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち

 

 

この本に登場している第一号たちは、そもそも「女性第一号」と称されることを嫌う傾向にある。それを強く感じたのが、結びに登場する落語家・三遊亭歌る多だ。落語の世界は男社会であることが想像に難くない。そのような中、様々な理由で冠に「女」が付けられることを徹底的に疎んだ三遊亭歌る多。強い意思を表明するめにあることを二回しているが、その思い入れには頭が下がる。

 

残念至極

折角なので、登場する七人の女性を以下に紹介する。

 

高島屋取締役・石原一子
囲碁棋士・杉内籌子
労働省婦人局長・赤松良子
登山家・田部井淳子
漫画家・池田理代子
アナウンサー・山根基世
落語家・三遊亭歌る多

 

誠に残念なことがある。あとがきに書かれている女性初の東大教授であり社会人類学者の中野千枝だ。原稿の確認を前提に掲載の許可を得ていたものの、体調を崩したので原稿に目を通してもらうことが叶わず掲載が見送られてしまったのだという。

 

中野千枝といえば、あちらこちらで顔を出す『タテ社会の人間関係』だ。日本社会を知るための古典として版を重ねている。古典を通り越してもはや妖怪の域に達している一冊だ。中野千枝の物語、読みたかった。残念至極。

 

なんだかんだ言いながらも

残念なことはあったものの、先に挙げた七人の女性たちそれぞれの話は読んで小説のごとしだ。典型的な女性差別や女性蔑視も見られる一方で、中には「女性だから」という考えを持たずに彼女たちを支え続けた男性たちの姿もある。

 

その一方で女性そのものから恨みを買い、妬まれる場面も出てくることが興味深い。男女平等とは言いながらも、女性だから優遇されている場面があることを忘れてはいけない。アナウンサー・山根基世は、男性ばかりに背負わせてきた地方勤務を引き受けて組織責任を果たすべきと改革を断行する。

 

確かに相当な反発がありました。東京だけにいたいと考える一部の女性たちからは、だいぶ恨まれたようです。私の藁人形を作った人もいたと思う(笑)

 

男性だから思い、感じることもある。確かに女性差別や女性蔑視はあると思う。そうある一方で、女性はなんだかんだ言いながらも優遇されているのだ。そこにビシッと線を引いた山根基世は、男性である私から見ると格好良く映る。

 

男女不平等

当の女性自身が"女性だから"ということを意識してしまっていることにも問題はある.と指摘しているのが、囲碁棋士・杉内籌子だ。

 

一番の問題は、女性自身が目標を低く設定してしまっていることにあると思います。男子のほうが名人になりたい、本因坊になりたいと思って、入段後も努力している。 

 

このような冷静な視点は、男性から見て好ましいものがある。男女平等、男女平等と謳いながらも、山根基世の例で挙げたような、いわゆる逆の今での男女不平等というのは何気にあるものなのだ。

 

異なる言語を操る、異なる国の住人

最も読み応えがあったのは、高島屋取締役・石原一子だ。男性社会を理解したいと思い、理解したつもりでいたものの思い叶わずという話。そのような男性ばかりではないとは思いながらも、否定はできないし頷けるものもある。本当にこのような男性がいるから驚かされる。男性たちの醜い世界。

 

男たちがどれだけ出世というものにこだわり、血道を上げる生き物か把握しきれていなかった。男は女が考える以上に、出世するためには手段を選ばない。私の想像を超えていたのよね。足の引っ張り合いですよ。自分も渦中に身を置くようになって、男社会って醜いなって、つくづく思った。

 

そう、女性と男性は異なる言語を操る、異なる国の住人なのだ。そんな石原一子が翻訳して、早くこの本に出逢っていればここまでの苦労をせずに済んだのにと思ったのがこの一冊だ。これは読んでみたい。

 

『男のように考え レディのようにふるまい 犬のごとく働け』(デレク・A・ニュートン

 

本書の雑感

男女不平等はある、現実にある。これは、一般的に捉えられている言葉通りの意味(女性が差別されている)と、逆の意味がある(女性が優遇されている)。これは日本に限ったことではないし、国によっては日本より顕著な例もあるだろう。

 

そのような男女不平等社会で生きていく上で、知っておくべきこと意識しておくべきことがある。あとがきを読みながら、このブログで初めて書いたことを思い出した。上野千鶴子の祝辞に関するものだ。

 

allblue300.hatenablog.com

 

私は思う。男女差別はある。男性だって、見方によっては差別されているのだ。しかしながら、差別を差別と捉えて文句を言うのか、それとも異なる言語を操る生き物として「区別」されていると考えるのか。それだけで随分と見える景色が変わってくるはずだ。

 

差別と考えるか。それとも区別と考えるか。どちらが正しいというわけではなく、目の前で起きていることを解釈するのはその人間次第ということだ。自分を変えることは容易でも、他人を変えることは難しいのだから。