本と酒があれば、人生何とかやっていける

読んだ本の感想や気付きを中心に、雑感をつらつらと綴っていきます

〈本〉『フードバンク 世界と日本の困窮者支援と食品ロス対策』

【そもそもの議論が置き去りにされていないか?】

まず出だしで引っ掛かった

1967年にアメリカのアリゾナ州で誕生したフードバンク。世界初のフードバンク「セント・メアリーズ・フードバンク」は、1975年に政府から補助金を受けてアメリカ全土にフードバンクを普及する活動を始める。日本は大きく出遅れること2000年にフードバンクが誕生して、2017年1月時点で全国に77団体ある。フードバンク、一度は聞いたことがある言葉だろう。本書は丸ごとフードバンクを取り扱った一冊だ。

 

フードバンク――世界と日本の困窮者支援と食品ロス対策

フードバンク――世界と日本の困窮者支援と食品ロス対策

 

 

日本でのフードバンクは農林水産省が所管しており、同省により「食品企業の製造工程で発生する規格外品などを引き取り、福祉施設等へ無料で提供する『フードバンク』と呼ばれる団体・活動」と定義されている。いわゆる食品ロスを無償で提供する活動だが、まずは私が認識していた「食品ロス」とは定義がずれていた。

 

製造工程で発生する規格外品というよりも、食品の流通過程で発生する(具体的に言えば量販店やコンビニで発生する)、食べられるのに廃棄される食品、これが食品ロスだと考えていたからだ。いきなり出だしで引っ掛かることになった。国の定義(国の考え)と草の根で行われている実際の活動にずれが生じるのは他でもあることだ。

 

言葉の定義から学びになる

私は食品を扱う仕事をしているので、直球のタイトルに興味を惹かれて本書を読んでみることにした。フードバンクの定義付けに出てくる食品ロスの解釈で冒頭から引っ掛かることになったが、この丸ごとフードバンクを取り上げた本は存外に読ませるものだった。

 

多くの識者からの寄稿をまとめたものなのでテーマにより興味を惹かれるものとそうでないものはあったが、特に言葉の定義や日本の現状が学びとなった。例えば、フード・セキュリティやフード・デザートと聞いてどのような意味合いをイメージするだろうか。

 

フード・セキュリティは食料安全保障と訳され、主に国単位での食料調達・安定確保を指している。最終的には個人レベルでの食料確保という話になってくるわけだが、面白い議論があった。そもそも、フード・セキュリティのために実現すべきなのはフードバンクによる食料の供給ではなく、十分な所得保障ではないかというものだ。フードバンクが先行した背景には、フードバンクが生まれたアメリカにおける政治がらみの事情があるという裏話が興味深かった。

 

もうひとつのフード・デザート。こちらの方が聞き慣れない言葉だった。たとえ十分な所得を得ていても、そもそも食品が売られていない、もしくは適切な価格で手に入れることができないというものだ。食料が砂漠状態という言葉の発想が面白い。

 

違うのではないか

所得再配分機能の低下、社会のセーフティネットの弱体化、これらを表すひとつの形がフードバンクという議論も目に留まった。先にあげた、そもそも十分な所得保障をするべきという議論に通じるものがある。つまり、所得再分配セーフティネットの問題を棚上げにしたままフードバンクを押し進めるだけでは、対症療法になりかねないということだ。このような笑うに笑えない問題もある。

 

おむつとミルクは要望が多いが、なかなか寄付されないため、購入して送った

 

フードバンク山梨という団体の声だが、これは違うのではないか。フードバンクの領分から大きくはみ出しているように思えてならない。このような対応をせざるを得ない実態を考えると、そもそもの議論(所得再分配セーフティネット)が置き去りにされているという見方には大きく頷けるものがある。

 

本書の雑感

本書を読んで、フードバンクの世界で日本は出遅れている様子が見て取れた。しかしながは、別に世界標準に合わせる必要はない。日本には日本の事情があり、それに合わせたやり方があるわけなので、世界に追い付け追い越せと考える必要などまったくない。それよりも、そもそものところ(所得再分配セーフティネット)を置き去りにせず、もっと力を入れるべきなのだと感じた。

 

つまるところ、フードバンクはアピールしやすいテーマであり、そもそもの議論よりは触れやすいところなので、一生懸命に旗を振っているようにも思えてしまった。それはあまりにも穿った見方だろうか?