本と酒があれば、人生何とかやっていける

読んだ本の感想や気付きを中心に、雑感をつらつらと綴っていきます

「ありがとう」は減るものではない

【「ありがとう」を繰り返そう】

帯状疱疹の前後で揺れる

今週、生まれて初めてMRIを撮った。筒の中に頭を突っ込み、騒音がする中で約12分間を過ごした。耳栓をしていたこともあり、騒がしかったにもかかわらず最後の方は思わず眠ってしまっていた。

平成の末期に帯状疱疹を患った際、初めてのMRIを撮るはずだった。正確には帯状疱疹と診断される直前に撮るはずだったのだが、帯状疱疹であることが分かったのでキャンセルしたのだ。帯状疱疹の前触れは頭痛だった。普段は頭痛と縁がない私が猛烈な頭痛に襲われたので、もしかしたら脳に何か問題があるのでは... と疑い(そして恐れ)、まずは脳神経外科医を受診したのだ。

幸い、結果的には帯状疱疹だった。帯状疱疹を患ったのは不幸なことだったが、脳ではないのは幸いだった。帯状疱疹の前後で脳を揺さぶられることになった。


なぜMRIを撮ったのか

話をMRIに戻そう。現在は帯状疱疹後神経痛の治療でペインクリニックに通っているが、もうほとんど痛みや痺れは残っていない。それがなぜ急にMRIを撮ることになったのか。ある晩に右手でスプーンが持てなくなってしまったのだ。帯状疱疹が出たのは顔面左だ。左の脳は右側の神経を司ると聞いたことがある。まさか脳に異常が... と心配になってきてしまった。調べてみると、帯状疱疹になると脳卒中脳梗塞など)のリスクが高まるというデータがあるではないか。

 


一晩明けても、左手を100とすると、右手に入る力が70〜80程度でどうもおかしい(私は右利き)。その日は様子見したものの心配だったので、弟の友人である脳神経外科医に連絡を取った。実は、帯状疱疹と診断される前に、心配した弟がやり取りしてくれていた脳神経外科医がいたのだ。「脳梗塞が心配されるのですぐにでもMRIを撮ったほうがよい」と助言頂き、先送りになっていた人生初のMRIを撮ることになったのだ。


安心はしたが...

無理を聞いてもらうことができ、翌日にMRIを受診することができた。当の先生はなんと休日にもかかわらず、他人任せにせず自ら診断してくれた。とても丁寧に対応して頂き、感謝の言葉しかない。ちなみに、マッチョで笑顔が素敵なナイスガイだった。

診断の結果、脳梗塞ではないことがわかったので一安心したのだが、帯状疱疹から始まり家族には心配を掛けっぱなしであることに頭をうな垂れた。ようやく落ち着いてきたかと思っていた矢先だったのでため息が出た。もちろん会社や同僚にも迷惑を掛けている。

健康第一という言葉が頭の中を行ったり来たりすると同時に、「死」を意識させられる瞬間があった数日間だった。やはりこのような時は本棚の前に立つ。この本が呼んでいた。

 

死ぬときに後悔すること25

死ぬときに後悔すること25

 

 
ありがとう負けしている

終末期医療の専門家が書いた、死を目前にした人たちが、死を目前にしたからこそ考えたことが綴られている一冊だ。随分と久し振りに読んだ。読み終えて思った。やはりこれだな、と。

 

「ありがとう」
それは後悔のない最期のために、必要な言葉だ。

 
当たり前のことが存外に難しい。夫婦の間でどれだけ「ありがとう」という言葉を交わせているだろうか。私の妻は布団を畳んだり、ゴミを出したりする私に、いつも「ありがとう」の一言をくれる。普段から、自分はどれだけ妻に「ありがとう」が言えているだろうか。どうやら、ありがとう負けしているようだと反省した。ありがとう負けしないように「ありがとう」を繰り返そう。

自分の死を意識することはまだ少ない。というよりも、ほとんどない。が、今回は少し意識させられることになった。後悔は先に立たない。「ありがとう」を意識して、後悔の二文字が脳裏をよぎることがないように生きていこう。そう思った。


今回の雑感

今回このブログを書いたのは、脳神経外科医のマッチョなナイスガイ先生と、絶えず不詳の兄の身を心配して友人まで紹介してくれた弟への感謝の気持ちを忘れないためだ。弟は異国にいるので言葉を交わす機会は年に片手もないが、まずはこの場で「ありがとう」と言っておきたい。この夏に会えるので、その場でも「ありがとう」を伝えたい。

「ありがとう」は減るものではない。何かほんの少しでも感謝の気持ちがわいてくることがあれば、ためらうことなく「ありがとう」と言うことを心掛けよう。そう思った。